回復する人間

こころのびょーきとの戦いを綴ります。

断薬する日まで

この文章を書くまでにいろんなものを失った。

生きている実感。

正常なカラダ。

なにより、僕を支え続けてくれた、最愛の人。

情けない。

けれど、ここから、じぶんの足で生きるって決めた。

 

そのための軌跡を綴っていきたいと思う。

 

お薬手帳を見ると、精神科に通いはじめたのは平成29年7月19日だ。いろんなことが不安になって、誰も信用できなくなって、生きている意味がわからなくなって、何かにすがりつきたくなった時期だ。カッターをもってひとりで部屋で暴れていたのを思い出す。

 

覚えているのは、最初のカウンセリング。1時間くらい話したと思う。でも、テレビとかで見ていたような、親身になって、僕のこころが抱えているものの正体を探してくれる、と言ったようなものではなかった。先生はただ、僕が話すことを、うんうん言いながら聞いていた。んでもって、「まぁきっと、鬱病強迫性障害と不安神経症でしょう」とあっさりと片付けられた。先生はどうやら薬のオタクらしい。小難しい理系の用語を使いながら、SSRIという薬がいかに素晴らしいかを、目を輝かせながら教えてくれた。そして、6つの薬を処方してくれた。

 

ここから、僕が薬漬けになる日々が始まったのである。

 

だいたい精神科には3週間にいっぺん通った。

その度に薬が増えていった。

薬によって生かされている、そんな気がしていた。

それでいいんだ、それが正解なんだ、そう、じぶんに言い聞かせていた。

 

だけど、違った。

 

僕はただ、甘えていたのである。自力で立ち直ろうとしなかった。それが全てだ。その結果として、世界で一番大切なものを失った。そして、気づいた。じぶんはこころの病気をいいわけに、あらゆるものから逃げていたことに。

 

まず、何よりも先に決めなければならないのは、生きたいか、生きたくないのか、決めることだ。僕は、生きたい。次に考えるのは、だったら、じぶんと向き合わなければならないということだ。そして、決めた。いつまでも薬に頼ってたら、それは生かされているだけだ。じぶんで生きなければならない。

 

だから、決意した。薬を、やめる。

 

これからは、じぶんでじぶんを治してみせる。例え、苦しくても、それが生きるための条件なら、受けて立とう。

 

回復する人間とは、僕の好きな小説のタイトルだ。このタイトルが表すように、僕は回復してみせる。

じぶんのちからで。生きる。