回復する人間

こころのびょーきとの戦いを綴ります。

断薬55日目

今日は更新しないつもりだったのだが、ラジオの収録に立ち会って、ちょっと驚いたので、報告。

 

ラジオのテーマは安楽死だった。安楽死とはいったいなんなのか、どういう人たちが安楽死をするのか。そもそも死にたい、とはどういうことなのか。

 

安楽死を海外で選択する人のほとんどは、既に人生に満足している人だという。やることはやった、そのうえで身体に病を抱えていて、これ以上、生きていても辛いだけだから、死を選ぶ、と。

 

話は進み、専門家に日本に安楽死は必要か?という問いが投げられる。専門家はいう。日本人の死にたい、というのと、欧米の人の死にたい、というのは重みが違う。日本人は世界的にみても精神疾患を抱えている人が非常に多い。そんな日本人は簡単に死にたいという。けれど、その理由を探ってみると、周りに理解者がいないとか、支えとなる人がいないなど、社会的な問題が原因だったりする。それは解決できるもので、海外の人が抱えているような深い、孤独からくる、死にたい、というものとは違うというのだ。

 

確かに、そうだ、と思った。簡単に死にたいなんて言ってはならない。まさに今の僕にふさわしい話だった。死にたいとは言わないけど、それに近い気分になることはある。だけど、それは何かから逃げているだけだ。満足に人生を生きていないのに死にたいなんて、思うなよ。