断薬115日目(さらばだ、幸せだった日々よ)
夢を見た。
いまから四年後、まいちゃんから電話がかかってくる夢。でも、そのときは、俺は北海道にいて、別の女性と結婚して、猫を飼っていた。リアルだった。あの女性は誰なんだろう。
昨日の話で、なんというか、諦めがついた。すうっと。俺がどれだけ苦しみを乗り越えても、どれだけ自分が変わったとしても、きっと再会する日は訪れないだろう。
別にまいちゃんのために自分を変えようなんてこれっぽちも思ってないけど、でも少なくとも10年間一緒にいてくれた人が変わった俺を見てくれないことは悲しいことではある。
ごめんね、まいちゃんのことを批判するわけじゃないけど、思ったことを書かせてね。
直感というけど、その直感をいつまでも蓋で押さえつけてたら、直感なんて掴み取ることはできないんじゃないかなって、昨日思っちゃった。ごめんね。でも、まいちゃんは意固地だから、きっと、蓋を開けてくれる日はやってこないだろうな。開けようとしても、きっと、お母さんがそれを許さないんだろうな。そしてそのまま一年、二年、そして一生と過ぎて忘れ去られていくんだろうな。そんなことを思ってしまった。
人生って薄情だな。でも、ある意味、すっきりした。
でも、これだけは言わせてくれ。10年はとても大切な時間だった。苦しいときも悲しいときもお互い支え合ってきた。まいちゃんのダンス。就活の挫折。母親への憎しみ。翻訳の仕事。そして乗馬との出会い。全てこの目で見守ってきた。そしてその都度、成長に驚かされてきた。まいちゃんのことは誰よりも、世界中の誰よりも大好きだった。まいちゃんも、俺のことを支えてくれた。そばにいるだけでとても安心した。笑いあって、一緒に寝て、喧嘩して仲直りして、そういうひとつひとつの日々が何よりもの幸せだった。
あなたは俺の人生でかけがえのない人であった。病気と、そしてそこから回復した俺と、向き合ってくれないことは悲しいけど、とても感謝してる。
普通はまいちゃんのことを憎むだろう。10年連れ添った良き理解者(そしてそのお母さんに)に、病人というレッテルを貼られて(まあ、実際、病人だったんだけど)、あなたのことを支えてあげることはできない、と言われたのだから。そりゃあ絶望のどん底だよ。でもね、なぜか憎しみはないんだ。
なんでだろうね。
憎むことができたら楽なのにな。
ただ、昨日、あなたは将来、同じこと(こころの病気)を繰り返す!って言われたときは死ぬほど悔しかったけどね。俺がいま、何にどうやって立ち向かって、どんな苦しみを抱えて、そして乗り越えようとしてるのか、伝わってなかったんだって悲しくなった。
なんだか永遠の別れみたいに書いちゃったけど、まいちゃんはいますごく苦しい状況にある。電話で、LINEで、それを助けられるなら、助けたい。それは揺らがない。
とにかく俺は期待するのをやめた。でも、もし、まいちゃんが、直感の蓋を開けて、真理の扉をちゃんと開いてくれるときが、仮に来るのなら、そのときは「会いたい!」って言ってください。半年後でも、もっと早くても。期間なんか関係ねえよ。(実際、まいちゃんが前のやつと結婚するのやめてよって言ってから、俺がまいちゃんに連絡とろうと思ったのは2ヶ月後だったわけだしね。そして、あのときまいちゃんがイエスと言ってくれなかったら一生大切なものを失うだろうという、勇気を振り絞って告白したんだよ。)
あと、お母さんには抗ってほしい。それがあなたのためでもあるから。直感の蓋をあけるときがきたら、あれから1年が経ってなくても、お母さんにちゃんと話してほしい。面倒くさいと思う。でも、まいちゃんならきっとできるはずだよ。少しずつ変わってきたんだから、お母さんとの向き合い方も。
とはいえ、個人的には期待はしてない。全ては諦めた。明日の俺が、今日よりも輝くことだけ考えて生きよう。
ひとつ、まいちゃんの歌声を聴くことが一生できないのだけは心残りだなあ。